こんにちは。最近は急に暑くなってきましたね。
本日は、以前もご紹介した Dr.Devon MacEachron のブログ記事より、ギフテッド=成績優秀?と題し、アカデミックアンダーアチーブメントについての記事をご紹介します。
2Eのお子さんを育てる中で、彼女が感じたことにとても共感します。
元記事は以下をご参照ください。
(https://drdevon.com/academic-underachievement/ )
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あなたの聡明なお子さんは、学校での成績が悪いのでしょうか?
親は、それを心配しなくてもいいのでしょうか?
私は、あまり努力しなくても良い成績がとれる子供でした。両親は良い成績を期待していたし、私も喜んでそれに従っていました。
私は、(親として)子どもたちに非常に教育的に充実した家庭環境を提供していました。
また、私は実際にエンリッチメント教育(拡充教育)に携わってきました。当時の私の心境は、友人のリタ・アイケンスタインが書いた本のタイトルを借りれば、「Not What I Expected as a parent (親として思い描いていた姿と違った)」のでした。
その原因の多くは子どもたちの学習障害にありました。ADHD(多動性障害)とディスレクシア(失読症)のために、私よりも頭が良いにもかかわらず、私の子供たちは、私よりもずっと大変な思いをしていました。
私は子供たちに必要な補充教育を受けさせ、できるだけ彼らに合った学校を探しました。そして彼らの成績は向上しました。しかし、当時の私は、そのことが多くの重要な点において、実際にはどれほど無意味なことなのかを理解していませんでした。
学業成績は、一般的に考えられている意味合いだけではありません。確かに、学力の(ある程度は)指標にはなります。成績が良いということは、それだけではなく、子供たちが興味を持てる仕事や(仲間との出会い)につながるエリート校への道を開くことにもなります。
しかしながら、良い成績というのは、従順さ、暗記力、そして外発的な報酬への欲求の尺度でもあります。
従順さの尺度でもあるというのは、良い成績を取るためには、生徒は先生が何を求めているかを予測し、それを与えなければならないからです。品行方正であり、先生の権威に挑戦したり、常識にとらわれないような行動をしてはいけません。"人を喜ばせる人 "になる。あえて言えば、“先生のペット”ということでしょうか。
暗記力の尺度というのは、指一本ですぐにデータが手に入る時代に、奇妙なことに、生徒に事実を暗記して覚えさせるという教育システムがいまだに残っているからです。
学校は、今が情報化時代であることを認識していないのでしょうか?勉強熱心な生徒は、親の喜び、教師の賞賛、優等生であること、卒業生総代になることなど、競争力のある外発的な報酬を求めることで、高い成績を目指します。
彼らは自分の成果を、何を学んだかではなく、良い成績を取ったかどうかで測ることを学びます。
私は、外発的な動機づけをされた生徒が、学ぶ喜びを失っていくのを見てきました。成績優秀な高校生に見られるこの現象については、『Doing School』という面白い本があります。
多くの人が、才能と学業成績を混同してしまっているのです。私の考えでは、ギフテッドネスとは好奇心や知的能力のことです。そして、学業成績とは、規則に従うこと、言われたことを学ぶこと、そして「駆け引きをすること」です。全然違いますよね?
私が皆さんにお聞きしたいのは、次のようなことです。
自分の子供に、成績優秀者になるために必要な行動パターンを取らせたいと本当に思っていますか?
それは彼ら自身の目標を達成するのに役立ちますか?
充実した大人になるために役立つでしょうか?
私はそうは思いません。
寄宿学校を舞台にした青春小説の名作『A Separate Peace』には、このことを如実に表す一節があります。野心家の主人公ジーンは、卒業生総代になることを決意します。
しかし、ジーンはチェット・ダグラスを真のライバルとはみなしません。良い成績を取るためには、敢えて無関心になることも必要ですが、チェットの場合は学びたいという欲求、つまり知的好奇心が抑えられず、良い成績を得る為に無関心でい続けることができないからです。チェットの競争力は、彼の学ぶことへの純粋な興味によって弱まったとジーンは見ています。
私はチェットを賞賛するとともに、すべての子供たちが学習に対する真の純粋さを維持できることを願っています。