ギフテッドにおける実存的うつ

ギフテッドにおける実存的うつ

By James T. Webb.


(
原文:https://www.sengifted.org/post/existential-depression-in-gifted-individuals)

 ※記事の和訳およびHPへの掲載に関して、SENGから許可をいただいております。

 

私の経験から言って、ギフテッドやタレンテッドは、実存的うつといわれるタイプのうつを経験する傾向がある。実存的うつは、大きな喪失や、人生の儚さを象徴するような喪失の脅威によって誰にでも起こりうるが、知的能力が高い人は自ら実存的うつになる傾向が高い。この実存的うつは、Dabrowski (1996) が提唱した“積極的分離”と結びつけて考えられることもある。

 

実存的うつとは、個人が存在に関するある種の根本的な問題に直面したときに生じる抑うつのことである。Yalom (1980) は、死、自由、孤立、無意味という4つの問題(または「究極の懸念」)について述べている。

死は避けられないものだ。実存的な意味での自由とは、外部構造の欠如を意味する。つまり、人間は本質的には構造化された世界には入らない。私たちは私たち自身が創り出す構造を世の中に見出さなければならない。孤立とは、どんなに他人と親しくなっても、常にギャップがあり、親しくなっても孤独であることを認識していることである。無意味さは最初の3つから生じる。

 

もし私たちがいつかは死ななければならず、自分自身の世界を創り出さねばらなず、一人一人が最終的に孤独であるとしたら、生命にはどんな意味があるのだろうか。

 

なぜこのような実存的な懸念が、ギフテッドの間で不釣り合いに多く生じるのだろうか?その理由の一つは、そのような考え方を考慮するためには、単に日常生活の表面的な側面だけに目を向けるのではなく、十分な思考と熟考が必要だからである。ギフテッドが持つ特異的な特徴も、実存的うつを引き起こす重要な素因である。

 

ギフテッドの子どもは物事がどうあるべきかを考えることができるので、理想主義者になりがちである。しかし、同時に彼らは、世界がそのあるべき姿ではないことに気づく。

 

その激しさゆえに、ギフテッドの子供達は理想が達せられないときの失望や挫折感を、強烈に感じる。同様に、ギフテッドの若者は、社会や周囲の人々の行動の矛盾、恣意性、不条理をすぐに見抜く。伝統には疑問を抱き、変革しようとする。

 

なぜ私たちは、性や年齢に応じた厳しい制限を人々に課しているのかなぜ人は、あることを言って別のことをするという偽善的な行動をするのだろうか?なぜ人は本当に意味のないことを言うのかどうしてこんなに多くの人が他人とのやりとりで、考えもせず、思いやりもないのだろうか一人の人間の人生が世界にどれだけの違いをもたらすことができるだろうか? というような疑問を抱くのである。

 

ギフテッドの子供達がこのような懸念を他の人と分かち合おうとすると、困惑から敵意までさまざまな反応がかえってくる。彼らは、他の人々、特に同じ年代の子供たちが、明らかにこれらの懸念を抱いておらず、むしろ、より具体的な問題に焦点を当て、他の人々の期待に沿うことに焦点を当てていることを発見する。

 

特にハイリーギフテッドの子どもたちは、小学1年生になっても、ほかの子どもたちがそのような重大な懸念について話し合う準備ができていないことを知り、仲間やさらに家族からも孤立していると感じることが多々ある。

 

彼らの強烈さと多元的な才能が組み合わさると、彼らは、空間と時間の実存的な限界に特に苛立ちを覚える。このような子供たちの多くが持っているすべての才能を育てるには、1日のうちで十分な時間がありません。可能性の中から選択することは、恣意的であり、「最終的に正しい」選択というものは存在しない。 

 

例えば、子供が、同じような情熱を抱き、才能や可能性があると思われる、ヴァイオリン、神経学、理論数学、国際関係といった複数の分野の中から、職業を選択しようとする場合、選択することさえも困難になることがある。

 

これらのフラストレーションに対する(繰り返しにはなるが、強烈な)ギフテッドの若者の反応は、一種の怒りとなって表れることが多い。しかし、彼らはすぐに自分たちの怒りが無意味であることに気付く。なぜなら、その怒りは 「運命」 や、自分たちではコントロールできない他の事柄に向けられているからだ。無力な怒りは、すぐにうつに発展してしまう。

 

このような抑うつ状態では、ギフテッドの子どもたちは通常、何らかの意味を見出そうとする。しかし、多くの場合、自分を引き出そうとすればするほど、自分の人生は有限で短いこと、自分は一人であり、非常に広い世界の中ではただ一つの非常に小さな生命体にすぎないこと、そして自分の人生をどのように生きるかという選択には恐ろしい自由があることを強く意識するようになる。

 

彼らは人生の意味を問い、「人生にはこれしかないのか究極の意味があるのではないか人生は意味を与えてこそ意味があるのか私は小さな取るに足らない生命体であり不条理で恣意的で気まぐれな世界にたった一人でいて私の人生にほとんど影響を与えずに死んでしまう。これが全てなのか?」と考えはじめる。

 

このような懸念を抱くことは、中年期の危機(ミッドライフ クライシス)真っ只中の思慮深い成人にとってはそれほど驚くべきことではない。しかし、こうした実存的な疑問が12歳や15歳の子どもの心の中で真っ先に浮かぶときには、大きな懸念事項となる。このような実存的うつは自殺の前兆となりうるため、注意が必要である。

 

私たちは聡明な子どもたちがこの問題に対処するのをどのようにして助けることができるだろうか私たちの存在の有限性について私たちができることは少ない。しかし、私たちは、子どもたちが、自分たちは理解されていて、一人ではないということ、そして、彼らの自由と孤独感を上手に扱う方法があるということを感じられるよう、助けることができる。

 

自分が抱えている問題を他の人が理解していることを若者に伝えるだけで、孤独感をある程度軽減することができる。“あなたの経験は私の経験と全く同じではないが、あなたがある程度似たような経験をしたことを私が知っていれば、私の孤独感は減る。” ギフテッドの子供たちの長期的な適応において、人間関係が非常に重要なのはこのためである(Webb, Meckstroth and Tolan, 1982).

 

孤独感を打ち破る特別な方法の一つに、“触れること”がある。幼児を抱いたり触れたりする必要があるのと同じように、実存的孤独を経験している人も同様である。触覚は、母子の絆または「発育不全」症によって証明されるように、存在の基本的かつ本能的な側面であるように思われる。

 

私はしばしば、実存的なうつに悩む若者に毎日のハグを「処方」したり、ハグを嫌がるティーンエイジャーの親には「あなたがハグを望んでいないのは分かっているけど、私にはハグが必要なの」と言うようにアドバイスしたりしてきた。抱きしめたり、腕を触ったり、もみくちゃにしたり、「ハイタッチ」をしたりすることは、そのような若者にとって非常に重要なことである。少なくとも、何らかの肉体的なつながりを確立するからである。

 

感情的な危機に対する感覚的な解決策としての接触の安心感とは対照的に、自由の管理に伴う問題や選択は、より知的なものである。構造化されていない世界の無数の選択肢に圧倒されているギフテッドの子どもたちは、他の人々が自分たちの生活を構造化してきた様々な方法を研究したり探求したりすることに大きな癒しを見いだすことができる。

 

偉大で充実した具体的な道を選んだ人々についての本を読むことにより、これらの若者は、選択は人生の道の分岐点にすぎず、それぞれが自分自身の充実感と達成感に 導くことができるということを理解する方法として、ビブリオセラピーを活用できる(Halsted, 1994)。私たちは皆、人生にとって意味のある枠組みを形成する信念と価値観についての個人的な哲学を構築する必要がある。

 

このような実存的な問題があるからこそ、多くのギフテッドは「原因」(その原因が学問であれ、政治的・社会的原因であれ、カルトであれ)に集中的に身を投じてしまうのである。残念なことに、これらの実存的な問題はまた、しばしば「所属」しようとする必死さや、破壊的な試みと混じって、抑うつ状態に陥る可能性がある。

 

このような子供たちが根本的である実存的な問題を認識できるように手助けをすることは助けになるかもしれないが、それが親切で受け入れられる方法で行われる場合に限られる。さらに、このような若者は、実存的な問題は一度だけ対処できるものではなく、頻繁に再検討し、再考する必要があるものであることを理解する必要がある。

 

 

つまり、実存的なうつ状態にある多くの人々に、彼らがそれほど孤独ではないことを認識してもらい、以下に紹介するアフリカ系アメリカ人の詩人Langston Hughesが書いた希望のメッセージを受け入れるよう促すことができれば、私たちは彼らを助けることができるかもしれない。

 

 

しっかり夢を守るのだ

 

なぜなら もしも夢が死んだなら

 

いのちは 飛ぶことのできない

 

翼の折れた鳥だから

 

 

 

 

しっかり夢を守るのだ

 

なぜなら もしも夢が消えさると

 

いのちは 雪で凍りつく

 

草木の生えない野原だから。

 

~ラングストン・ヒューズ

 

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この記事を書いたジェームス・T・ウェブ James T. Webb, Ph.D., は

ギフティッド教育に最も影響を与えた、全米トップの心理学者25名の一人。ギフティッド児、タレンティッド児の社会的・情緒的ニーズをめぐり、学校や教育プログラム立案者、ギフティッド児との相談に携わる。 1981年、国の非営利団体で、ギフティッド児および成人ギフティッドに関する情報や訓練の場の提供、学会やワークショップの開催などを行うSENG(Supporting Emotional Needs of Gifted, Inc.)設立。全米小児ギフティッド協会(NAGC)理事、米国ギフティッド児協会プレジデント、Great Potential Press,Inc. のプレジデントを歴任。2018年逝去。

 

2019年に春秋社より出版されたギフテッドについての和訳本

”わが子がギフティッドかもしれないと思ったら: 問題解決と飛躍のための実践的ガイド”および

”ギフティッド その誤診と重複診断: 心理・医療・教育の現場から” の著者の一人でもある。