こんにちは⛄️
寒い日が続いておりますが、皆様元気に毎日をお過ごしでしょうか?
和訳記事のご紹介がなかなかできないまま、半年ほど経ってしまい申し訳ありません。。。
本日は、ギフテッド研究の巨匠と言っても過言ではないLinda Kreger Silverman博士が、ギフテッド児を育てる親向けに書かれたコラムの和訳をご紹介いたします。
まずは、彼女の経歴をご紹介させてください。
Linda Kreger Silverman博士は、南カリフォルニア大学で教育心理学と特別教育を専攻し、博士号を取得されたギフテッド研究で大変有名な心理学者です。
彼女は、コロラド州デンバーで、Gifted Development Center (GDC) 、Visual-Spatial Resource、The Institute for the Study of Advanced Development (ISAD)を設立し、過去35年間に、GDCでギフテッドと認定された6,500人以上の子どもたちを研究しました。
彼女の研究により、WISC-IVの延長された規範を用いる測定法 (英語ですが、詳しい説明はこちら)が編み出されました。
また、1981年には「visual-spatial learner」(VSL)という概念を提唱し、VSLの子供達を特定して教える方法を考案しました。
彼女は9年間、デンバー大学で心理学のカウンセリングと才能教育を担当しました。1961年からはギフテッドについての心理学と教育を研究しており、300以上の記事や書籍を執筆しています。
人気プレゼンターでもある彼女は、ニュージーランド、シンガポール、香港、オーストラリア、デンマーク、アイルランド、米国などで基調講演を行っています。記事の和訳については、ご本人から直接許可をいただいております。
以下、和訳記事となります。
どのようにして、親はギフテッドの子供をサポートできるか
ギフテッドの子供の親であるということは、ギフテッドの子供でいることよりもさらに難しいことです。そして、不運なことに、これらの複雑な小さな人々には取扱説明書はついていません。次に述べるギフテッドネスの新しい定義がギフテッドの子供たちを育てる複雑さを浮き彫りにしています。
ギフテッドネスとは、非同期発達の事であり、進んだ認知能力と強烈な激しさが組み合わることで、標準と質的に異なる内面の体験と意識が産み出されます。
この非同期性は、知能が高いほど増加します。 ギフテッドの特異性は、彼らを特に脆弱にし、彼らを最適に育てるためには、子育て法、教え方、カウンセリング法の修正が必要となるのです。(1991年コロンブスグループ)
非同期とは、内的にも外的にも同期していないことを意味します。ギフテッドの子供たちは、身体的、精神的発達よりもはるかに速い速度で認知的に発達します。 8歳の精神で考え出されたアイデアは、5歳の手で作り出すことができないかもしれません。さらに、彼らは、その高い認知能力により、年相応である彼らの精神的な成長の度合いでは対処できないような情報にも気づくことがあります。
ギフテッドの子供達は人生の全てをより激しく経験する傾向があり、感情的に複雑になります。そして、通常、同年代の子供たちの発達上の基準には合いません。彼らはより高度な遊びに興味を持っており、同級生たちより学問上はるかに先を行っていることが多くあります。子供が賢ければ賢いほど、非同期性と脆弱性は大きくなるのです。
ある女の子は、自転車に乗る時には6歳で、ピアノやチェスをしている時には13歳、規則について議論している時は9歳で、趣味や本を選ぶ時は8歳で、静かに座るように頼まれた時は5歳(または3歳)であるかもしれません。そのような子供が平均的な6歳児のために作られた教室に適応することを期待できるはずがありません。 (Tolan、7ページ)
したがって、両親が子供の生まれつきの発達上の違いを認識し、彼らの支持者(アドボケーター)として行動する準備をすることが必要不可欠になります。
認知
ギフテッドの子供達の支援には、親が非常に重要な役割を果たすということは疑いの余地がありません。親の第一の務めは子供の進んだ発達を認識することです。才能の最も初期の兆候には次のようなものがあります。
・幼児期における普通でない注意深さ
・乳児期の睡眠の必要性が少ない
・長い注意スパン
・高い活動レベル
・早期にお世話をしてくれる人に微笑みかけ、認識する
・騒音、痛み、欲求不満に対する激しい反応
・発達のマイルストーン(指標)により早く到達する
・並外れた記憶力
・学習を楽しむことと習熟スピード
・早期かつ広範囲な言語発達
・本に魅了される
・好奇心旺盛:多くの質問をする
・優れたユーモアのセンス
・鋭い観察力
・抽象的な論理、問題解決能力、一般化する能力
・時間への早期の関心
・鮮やかな想像力(例:イマジナリーフレンド/空想上の友達)
・ユーモアのセンスの早期発達
・ 敏感さと思いやり
これらの特徴の4分の3を示す子供たちは、通常、知能テストの際に“非常に高い”の範囲に入り、彼らの才能を確認するためには経験豊富な検査官による評価が必要です。 また、最初に生まれた子供は、兄弟よりも多くの場合でギフテッドとして認定されています。 家族の中の1人の子供がギフテッドであるとき、残りの兄弟もギフテッドである可能性が高いです。 他の特別教育の集団と同様に、ギフテッドの子供達にとっても大切である早期の介入を可能にするため、早い段階での認定が(5歳から9歳)推奨されています。
レスポンシブな(反応の速い)子育て
レスポンシブな親は、子供と一緒に時間を過ごし、子供の興味に同調し、次の段階の教えを提供します。 彼らは、この小さな人が誰なのか、そして彼または彼女がどのような大人になるのかを発見することを楽しみにしています。 一方、“クリエーター(創造者)の親”(Montour、1977)は、彼らの子供たちを先入観に合うように形作るようにします。彼らは、子供たちがその子供自身が設定した課題を持つユニークな人間を育てているという事実を無視しているのです。 幸いなことに、“クリエーター(創造者)”の親を持つギフテッドの子供たちはほとんどいません(Silverman、1993)。
レスポンシブな親は、乳児期からジェスチャーや表情を模倣し、赤ちゃんと話し、遊び、歌い、抱きしめ、安心させ彼らが世界にもたらせた新しい人生を喜び、赤ちゃんの世界に入ろうと努めます。さらに、親は子供の最初の先生であり、教えは子育てにおいて自然なことなのです。
ギフテッドの親は、子供たちが自分たちで本を読むことができるとしても、子供たちに頻繁に本を読み聞かせます。幼少期における両親の役割は、子供たちを彼らの興味や、芸術、音楽、ダンス、美術館、スポーツなどの世界のさまざまな側面にさらすことです。また、特定の分野に惹かれている子供たちは、その分野をより深く探求する機会を与えられるべきです。家庭での刺激は、才能の開発の重要な部分を占めます。 親が子供のリードに従うのではなく、親が決めた課題をさせることは有害でしかありません。
家族関係
ギフテッドの乳児は、他の乳児よりも眠りが少ないことが多く、目が覚めているときはより多くの刺激が必要です。 そしてそれは、母親になったばかりの母親たちを疲弊させ、圧倒させます。
主たる養育者が休んだり、他のことをするための休憩をとったりするために、 拡大家族と住んだり、近所に祖父母がいたり、親密な友人や親せきのコミュニティーがあったり、近所のティーンエージャーが子供の世話をしてくれることはとても役立ちます。
話し始めた時から、ギフテッドの子供たちは絶えず質問をし、権威に挑戦しているように見えるかもしれません。 また、「私がそう言ったから、それをしなさい」というのは、これらの子供たちには通用しません。 なぜなら彼らには、理由が必要だからです。 時間をかけて要求を説明することのできる親は、通常、権威主義的な躾方法をとる親よりも、子供からより多くの協力を得ることができます。
ギフテッドの子供たちは、子供の体にとらわれた大人と考えると役に立つでしょう。 彼らは大人として話され、耳を傾けられているならば、自分が尊重されているように感じ、そして礼儀正しい反応をする傾向があります。
子供たちの年齢が上がった際には、“家族会議”は、責任を共有し交渉スキルを学ぶ良い方法となります。家族会議では、皆が公平に扱われ、公平に問題を解決するために協力します。 家族会議は、週に1度など、定期的に行われることが最も効果的です。
例えば、私たちの家族会議では、いつも誉め言葉で一周し、その後苦情が続きます。意見が対立した場合は、皆が満足するまで話し合います。そして、私たちはこの機会に、母親の予定が重ならないよう、それぞれのスケジュール(バスケットボールの練習、合唱団の公演等)を発表します。
我が家では夕食は順番で準備し、献立はミーティングで決めます。午後10時に共通の居住スペース(例:ファミリールームやキッチン)にあるものはすべて没収され、当番制の”没収者”と呼ばれる人が、没収した物1つにつき25セントを徴収します。そして、そのお金は特別な機会のために貯めておきます。私たちの家族会議は、ハイアドベンチャーな(ドキドキハラハラするような)本を音読するなどの一緒にできるアクティビティーで終わります。幼い子供には、年齢を考慮してアレンジされた家族会議が有効です。
学校の選定
理想的には、ギフテッドの子どもたちは、同じような能力を持った子どもたちと一緒にいるべきであり、彼らの教育プログラムは、彼らの発達の度合いに合わせて成長できるように設計されるべきです。そして、親は、職員や教師がギフテッドの子どものニーズに応えられ、彼らとその親を真剣に受け止められる学校を探すべきです。
就学前と初等教育の年齢では、異年齢のグループに分けることが有益です。ただし、それはそのグループの中でギフテッドの子供達が最も年長でない場合に限ります。高度に構造化された環境では、生徒に選択の機会を与えるオープンで柔軟な環境ほどには、ギフテッドの子どもたちの自立性や創造性を育むことはありません。”In Search of the Perfect Program (完璧なプログラムを求めて)” (Silverman&Leviton、1991年)には、学校で探すべき特定の資質のチェックリストが含まれています。
ギフテッドプログラムが十分にやりがいのあるものでない場合、またはギフテッド児が彼らと同様に知的に発達した同年齢の子供たちとグループ分けされる機会がない場合には、飛び級(アクセレーション)を考慮するべきです。早期入学は、学問的にも社会的にも、最も簡単な飛び級の形です。 教材を飛ばして使うこともなく、早期入学者たちは最初から年上の同級生と仲良くなることができます。
女児は、同級生たちの影響を受けにくい3年生になる前か、9年生以降に飛び級をさせるべきです。通常、男児は、知的な刺激を受けるためであればいかなる学齢の時でも、飛び級をすることを厭いません。飛び級については、Feldhusen(1992)により書かれた素晴らしいガイドラインがあります。飛び級についての経験則としては、子供に尋ねることです。もし、子供が飛び級したいのであれば、上手く社会的に適応をする可能性が高いでしょう。
ギフテッドで、クリエイティブな男児たちは、集団生活の初めのうちはいわゆる”未熟さ”のために抑制されることが多くあります。それは、自分たちよりも発達が未熟な同級生たちとうまく付き合えないからです。 精神年齢が8歳の5歳児は、普通の5歳児に共感することはできません。 それ故に、留年しなければならないことは、ギフテッドの子供にとって何も得るものはありません。留年して彼が6歳になった時は、彼の精神年齢は9歳になるにも関わらず、5歳児に合わせようとしなくてはならなくなってしまうからです。 最適な解決法は、彼の本当の能力にあった子供たち―彼と同時年齢で、同程度の知的能力のある子供たちを見つけることです。リテンション(留まらせること)は勧められません。
親のアドボカシー
ギフテッドの学校やギフテッド教育プログラムがない場合、親は子供のために強力な代弁者(アドボケート)にならなければいけません。障がいのある子どもたちのニーズが学校で認識されたのは親のアドボカシーがあってのことであるのと同様に、ギフテッド児のためのサービスがしっかりと整備されていることが保証されるためには、ギフテッドの子供を持つ大勢の親たちの粘り強さが必要になります。
特別な支援が必要な子ども(スペシャルニード)を持つ親は、子どもの担任教師に、支援が必要であることを学年の早い段階で知らせることが重要です。教師がギフテッドの生徒たちを「発見する」ことを期待してはなりません。親と教師は協力して、その子供のための適切なプログラムを決定し、問題が発生した場合は解決しようとします。
家庭と学校の協調(協力)は、非難をしたり、保身をしたりすることよりも、はるかに効果的です。保護者は、教材の作成や選定、指導単位の設計、メンターの確保、教室での支援、少人数の生徒への専門知識の提供、ギフテッド児を教育することに関するワークショップやコースへの資金提供などを通し、子どもの教師を支援することができます。
有能な親は、子どもの教育に関与し続けます。また、情報を常に把握し、その情報を子供の教師と巧みに共有します。教師がギフテッドの子供を助けるために、全力を尽くしてくれている時、保護者は必ず感謝の気持ちを示すべきです。校長や教師に手紙を書くなどして、その気持ちを言葉で伝えることも良いでしょう。
まとめ
親はギフテッドの子どもの発達に最も大きな影響を与えます。多くの場合、ギフテッド親は子どもの親友になります。このような家族の絆は現代では珍しいが、不健康ではありません。ギフテッドの子供のいる家族には、大きな感情的な激しさと知的な刺激であふれています。
ギフテッドの子どもたちを育てる鍵は、尊敬・尊重です。それは、彼らの個性の尊重、意見や考えの尊重、夢の尊重です。子どもたちに必要なのは、レスポンシブ(反応が早く)で柔軟性のある親であり、子どもが小さくて打席に立てない時に、彼らの代打をできる親なのです。
子供たちが他の人たちと同調しないのを見るのは苦痛ですが、みんなと合わせることの重要性を強調するのは賢明ではありません。なぜなら、子どもたちは外の世界でそのメッセージを十分に受け取っているからです。彼らは、家庭では、自分の個性が大切にされていること、自分自身でいるだけで認められていることを知ることが必要なのです。