以下は、Dr.Devon MacEachronが書かれた記事の和訳になります。
クレージーな人たちがいる。
反逆者、厄介者と呼ばれる人たち。
四角い穴に丸い杭を打ち込むように、物事をまるで違う目で見る人たち。
彼らは規則を嫌う。
彼らは現状を肯定しない。
彼らの言葉に心を打たれる人がいる。
反対する人も、称賛する人もけなす人もいる。
しかし、彼らを無視することは誰にもできない。なぜなら彼らは物事を変えたからだ。
彼らは人間を前進させた。
彼らはクレージーと言われるが、天才だと私たちは思う。
自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが、本当に世界を変えているのだから
~アップル社のCMより〜
読むたびに、思わず涙ぐんでしまいます。
大人として、私たちはレオナルド・ダヴィンチ、アルバート・アインシュタイン、ニコラ・テスラ、イーロン・マスク、スティーブ・ジョブズ、リチャード・ブランソン、ウォルト・ディズニー、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ、ジョン・レノン、スティーブン・スピルバーグ、そしてロビン・ウィリアムズのような裏切り者、そして創造力のある人たちの成し遂げたことを尊敬しています。
彼らは、世界を変える発明家、創造者、ヒーラー、探検家、クリエーター、インスパイヤーです。彼らのような人たちがいなければ、社会は前進することができません。今、私たちには今まで以上に彼らが必要なのです。
でも、子供の頃の彼らは、全く同じ人物であるはずなのに、先生からは扱いにくいと思われ、親は悩み、眠れなくなるほど心配し、同級生には軽蔑されるかいじめられていたのです。なぜなのでしょう? 他者と違う、現状に反逆する、調和することを拒否する(もしくは体質的に不可能)、ルールに疑問を持つまたは拒否する――こうした性質は、大人になり、とても成功している人の性質と全く同じなのに。
多くの親たちは、自分の子供たちには幸せでいて、友達を作り、学校とスポーツや音楽などの課外活動で良い成績を収めてほしいと思っています。また、良い大学に入り、彼らを支え満足度の高い職業についてほしいと思っています。そして、結婚し、家族を持ち、社会に貢献出来たらとさえ願っています。
でも多くの親たち、特に2Eやギフテッドの親たちは、型通りのやり方で“成功”した子供が、大人になってからも成功するとは限らないということに、気付いていなかったり、小学校~中学・高校という深い溝の中で見失ってしまったりしています。
私が価値観を改めることになった出会い以前には、私も親としてそのような目先にとらわれる考え方をしてしまっていたことを、今では悔やんでいます。私の子供たちは公教育が始まる前は幸せで、友達もいました。
しかし、キンダー(日本の年長・アメリカは年長から公教育)が始まるや否や下り坂を転がり始めました。先生からは、彼らの態度(不注意、権威への疑問視、集中力の欠如、課題を終わらせられないなど)について指摘されました。成績はむらがあり、近所の子からは、私の子供たちが望むようには遊びに誘ってもらえませんでした。
集団スポーツには興味がないか、得意ではなく、彼らの同学年の子供たちが夢中になっているようなことには興味を示しませんでした。彼らが好きなこと――私の息子の場合は組み立てることと壊すこと、娘は想像することとお話を創ること――を同学年の子供たちと分かち合うことは容易ではなく、コミュニティーの中で注目されることは全くありませんでした。彼らは、ギフテッド、学習障害(LD)、ADHDと診断されていて、私は将来を心配し、数えきれないほどの夜を眠れずに過ごしました。
私の“目覚め”は、私の娘が4年生の時に小学校のスクールバンドで何週間もの練習を経て約200人の前でクラリネットのソロを演奏した後に起こりました。彼女は、その場に立ち慌てて楽譜を探しはじめました。
そして、“演奏するはずの楽譜を忘れてしまったみたい。つまり、ここはハロルド・アーレンとE.Y.ハーバーグの“If I Only Had a Brain”(オズの魔法使い“もしも知恵があったなら”)を演奏するのにぴったりね!” と言いました。
今となっては、言うのが恥ずかしいのですが、その時私は悔しい気持ちでした。私は彼女が曲を素晴らしく演奏し、彼女の誇るべき母としてその栄光が私にも反映すると思っていたのです。コンサートの後、私の前の座席にいた男性が娘の演奏を褒めてくれました。
私は、“どうもありがとう、あなたはとても親切ですね。でも彼女が練習していた曲を吹いてくれたらよかったのに” と言いました。
彼は、“即座に判断し、即興し、ユーモアを持ち想像力豊かに対処した娘さんを持っていることを誇るべきだ。それは、長い目で見ればもっと大切なことだ” と言いました。彼の言葉で私はハッとさせられました。
私はそのことについて何度も考えました。私は自分の子供がコミュニティーの中で称賛され、ほかの子供たちよりも優れていて欲しいと思っていたことに気が付きました。なんて浅はかだったのでしょう? 私は、心の中にある“完璧な”子供というイメージの型に娘をはめようとしていました。成績優秀者、一流の音楽家、人気者、運動神経も良い。自分の(そして疑問の余地のある)価値観が、娘自身と彼女が披露した、独創的で、自信に溢れ、創造的で、おもしろくて、賢いという類まれな強みを評価することを阻害していました。
これは私が博士号を取得するために大学に戻ったのと同じ時期の話です。
私は発達(心理学)の観点からモチベーションと達成について学習することができました。高評価を受ける生徒像(命令に従える、勤勉、人を喜ばせたいと思う、高い暗記力)は、成果を出す学生や大人になるために必要なものとは全く異なります(現状へチャレンジすること、本質的な動機、自分自身の興味の追求、オープンマインドであること、疑問を持つこと)。また、自分の利益を追求し、他の人がやっていることに影響されないようにする人は、大人として成功しているということも学びました。
Mihaly Csikszentmihaly の“フロー”を体験する喜びと、どのように“フロー”が達成に関連しているかについての考えは、特に感動的でした。
高校を通じての人気は、女の子にとってほとんどの分野での達成と負の相関関係があることをまなびました。また、学年が上がるにつれ、数学の暗記や、字の上手さなどの低レベルのタスクから、複雑な文章を読み、理解するというようなより高いレベルのタスクを学校から求められるようになります。
トーマス・ウェスト “In the Mind's eye (1997)” という視覚的に物事を考える人たちの創造性について書かれた本を読み、まず私が考えさせられたことは“障害”があっても特定のアドバンテージを与えることできるということです。今では、私は、配線が異なる(wired differently)ことによって普通の人が同じ方法では使えないある種の“スーパーパワー”を使えるようになると強く信じています。
"different(異なる)”子供たちは、大きな可能性を秘めています。親として、長い目で見る必要があります。
子供たちの個性を称賛し、育てる。普通ではない興味や情熱を追い求めることを奨励しましょう。
彼らがありのままであることに価値があり、他の人と同じになるような努力などして欲しくないと伝えましょう。それは勇気が必要かもしれませんが、その結果にはそれだけの価値があります。
不適合者、反乱軍、トラブルメーカー、四角い穴に丸い釘を打ち込む
――私たちの子供は、世界を変える人なのかもしれません。
著者から、こちらの記事の和訳および転載の許可をいただいております。
ギフテッドや2Eに関しての役に立つ情報が満載ですので、オリジナルサイトもぜひ訪れてみてください!
© Dr. Devon MacEachron, Strategic Learning Assessment www.drdevon.com.
✨今回、和訳をしてくださったギフテッド応援隊のお母様の感想をこちらにご紹介します✨
私の息子は、発達に凸凹がありいわゆる”普通の子”とはだいぶ異なります。知能がとても高く、興味も、関心も、知識も小学生離れしています。でも、その一方で心は幼くて、4年生になった今も学校で気持ちがコントロールできずに泣きわめいたり、他者視点に立てていないので空気も読めません。
”体は9歳、頭脳は13歳、心は6歳”と心理士の先生が形容していましたが、まさにその通りです。
高校野球部、4番、キャッチャー、キャプテンとして21世紀枠で甲子園に出場するはずだったのに、目の前の息子は甲子園はおろか、医師&心理士さんに”集団スポーツは難しい”と言われ、体幹&ボディーイメージが弱いので粗大運動全般が苦手。運動会は、いなくならずに演技・競技ができれば御の字というありさま。
でも、今、そのことで恥ずかしいとか、悲しいという気持ちは全くありません。私は、息子が運動ができなかろうが、みんなと同じことができなかろうが、そんなの今やどうでもよいです。
元気で毎日幸せに暮らせていて、自分の好きなこと(折り紙、旧石器時代から奈良時代までの歴史、絵画鑑賞、読書)に没頭できているというのは、何よりも喜ばしいことなのだと、今では胸を張って言えます。
息子は、先生や臨床心理士の先生方、クラスメイト等周りの人たちにとても恵まれています。息子みたいな人こそが、もしかしたら世界を変えることができるのかも。。。と淡い期待を持ちつつ、長い目で見て行きたいです。